自己紹介

初めまして、Namiです。本日は、私のブログ CHATMBRE(シャンブル) に遊びにきていただき、ありがとうございます♪

私のブログ CHATMBRE(シャンブル)は、フランス語の Chat (猫) と Chambre(お部屋)の組み合わせ。「猫のように自由に・マイペースに学習できるお部屋があればな、そんな場所にならないかな」という想いを込めて、2020年5月に立ち上げました。

当時の私は、フランスのパリにワーキングホリデーで滞在していたのですが、コロナが始まって強制ロックダウン。外出禁止で時間を持て余していたことと、フランス語を学習していたことから、「フランス語学習ブログ」としてこのブログを始めます。

そして、2021年8月。新しい目標として「米国公認会計士」になることを決めます。なので、現在のこのブログのメインテーマは「米国公認会計士」を目指して勉強している私の日々の勉強の記録になります。現在社会人30歳、フルタイムで働きながら、通信大学3年次に編入し、税務・会計ビジネスの単位を取得しつつ、平行して、米国公認会計士の専門スクールでも学習をしています。

その他にも、高校時代に赤点の常習犯だった私が、20歳の時に約10か月でTOEIC510点→870点まで改善し、新卒21歳から30歳までの10年間、アメリカのディズニーワールドディズニークルーズで働いたり、オンライン英会話の講師をしたりと、たくさんの経験をしてきました。ざっとこんな感じです。

20才 10ヶ月の語学留学 / シアトル ・アメリカ
21才 日本に帰国、専門学校を卒業
22才 クイックサービス / 米国三越
23才 クイックサービス / Disney Cruise Line
24才 Jr Asst パーサー / Princess Cruises
25才 ゲストリレーションズ / Magic Kingdom
26才 ホテルコンシェルジュ / カンクン・メキシコ
27才 ゲストサービス / Disney Cruise Line
28才 レセプション / Regent Seven Seas
29才 DMM英会話講師 / パリ・フランス
30才 コンサルタント / 国際リモート

訪れた国:50ヵ国以上 / 住んだ国:4ヵ国

私がこのブログを通してみなさんにお届けしたいメッセージは、「少しでも興味が沸いたら、あれこれ考えずにとりあえず行動してみること」「自分を信じて、夢を勝ち取る勇気を持つこと」です。

私のこれまでの経験を皆さんにお届けしつつ、「米国公認会計士」の学習を通して、目標に向かって頑張っている人たちと一緒に成長していけたらと願っています。

では、ここからもう少し私のことを詳しくお話しますので、興味がある方はお付き合いください★

 

▼YouTube動画での自己紹介はこちら

目次
  1. プロフィール
  2. はじめまして
  3. 当時18歳の私の夢は、アメリカのディズニーで働くこと
  4. 10か月の留学を経て勝ち取った、ディズニーへの切符
  5. 「ディズニークルーズ」という新たな挑戦
  6. ディズニークルーズに就職した結果、失敗
  7. 夢が叶った…けどその先は?
  8. 予想を遥かに超えたカンクンでの生活
  9. ディズニークルーズに戻るけれど?
  10. 世界中を旅した先に見えてきたもの
  11. フランス滞在前半:充実
  12. フランス滞在後半:ロックダウン
  13. 日本に帰国、新たな目標と出会い
  14. このブログで発信する内容まとめ

プロフィール

  • 30歳、社会人。札幌住み。
  • アメリカの会社に国際リモート勤務。
  • 2021年9月、アメリカ人の旦那と結婚。
    ビザ申請は事情があって一時停止中。
  • 米国公認会計士の資格取得が現在の目標。
    大学×USCPA、Wスクール中。
    2021年8月:USCPAスクール入学
    プロアクティブでNYC州出願予定

    アビタスのテキストも併用
    同年10月:通信大学3年次に編入
    税務・会計ビジネス専攻。
    NYC州出願の必要単位数に達したら

    米国公認会計士の受験を始めます。
    最短受験可能時期:大学4年次。

 

はじめまして

プロフィール

Nami
Nami
初めまして、Namiです。旅行が大好き!訪れた国は50か国以上。海外滞在歴は9年!

◆USCPA勉強中・P校(2021.08~)
◆産能大学通信3年次編入(2021.10~)
◆フルタイム社会人

過去にアメリカの夢の国で働いていました。(Walt Disney World キャスト / Disney Cruise Line クルー)現在は、札幌から米国企業に直接リモートワーク中。ごくたまにDMM英会話の講師もしてます。

趣味は旅行、フランス語学習(Twitchでライブ配信してます!)、ピアノ、芸術鑑賞、あつ森(Switch)、ジム。

ブログには、今までの海外でのキャリアや海外旅行に関する情報、USCPAやフランス語の学習した内容、その他の趣味 etc を自分のペースで発信していきます。

2021年の新しいスタート

2021年は、私の人生にとっての新しいスタートになりました。

まず、30歳という節目を迎え、めでたいことに、現在の旦那と結婚。旦那はアメリカ人、アメリカ住みです。私はというと、現在もまだ日本に住んでいます。本当は、結婚後、すぐビザの申請をする予定だったのですが、お仕事の関係で未だ申請できず。おそらく、2023年までは、国をまたいだ遠距離夫婦になりそうです。

現在の目標:USCPA

「USCPAを目指す」という目標を掲げ、USCPAスクール(プロアクティブ)と産業能率大学通信 3年次編入。社会人としてフルタイムで働きながら、通信大学とUSCPAの学習をメインに、フランス語も趣味範囲で学習中。

「目標」で生まれる、張り合いのある日々

さて、いきなりですが、みなさんは今、何か「目標に向かって頑張っていること」はありますか?

私は「目標を立てて、達成したら、新しい目標を立てる。」をずっと繰り返してきました。その結果、社会人になって10年間、毎年「転職」をしています。「転職した」と言っても、業界は一貫していて「ホスピタリティ・サービス」業です。また、仕事が嫌で転職したのではなく、「目標が達成したので、次の目標へ」を繰り返していると、いつの間にかそうなっていたんです。

実は、私が20歳の時、アメリカ留学先で出会った恩師に言われたことで、ずっと心に残っているメッセージがあります。ひょっとしたら、これが影響してるのではないかな、と思います。ここでシェアさせていただきます。

これからの仕事も勉強も大変だろうと思いますが、頑張ってください。
大変だから、意味があるのですよ。
簡単で、辛いことが全然無いような毎日は、意味がありません。
成功しても、達成感がありません。
大変な事に挑戦するから、大きな意義があるのです。
チョッと大変かなーと思えそうな高い目標を持つことが、大切です。
でも、そういう目標が見い出せたことは、実は幸せなことです。
だって、頑張っている自分を自覚ができれば、毎日、張り合いがある日々を暮らせるのですから。
いつか、私を越える英語の達人になって下さい。
諦めない限り、絶対その日は来ますから。
もちろん、直ぐでは無いですが。

どうでしょう?何か心にグッときませんか?

私はこの10年間、お仕事を通して、自分がやりたいと思っていたポジション、行きたいと思っていた場所に行くことができました。満足した今、次に私が興味を持ったのは、これまでの「ホスピタリティ・サービス」業とはまた別の「米国公認会計士」です。

達成するにはちょっと大変な目標かな、と思いますが、勉強と社会人の両立を始めて、頑張ってる自分を自覚することができてちょっぴり嬉しかったりします。「会計」という全く未知の世界は、私にとって新しい挑戦です。

では、「21歳で学生を卒業してから現在30歳まで社会人をしてきた約10年間」をお話したいと思います。

当時18歳の私の夢は、アメリカのディズニーで働くこと

私は将来何がしたいんだろう?

高校3年生の冬、大学の受験勉強真っ最中、「偏差値で入れそうな学部・大学に入る」のに違和感を感じ始めた私。目標なしの勉強に、全く身が入りませんでした。

Nami
Nami
将来何をしたいのかわからないのに、更に4年間も大学で勉強するなんて!

そう思った私は、受験勉強を放り出し、気が付いたら本屋さんに行って「職業本」を読み漁ったり、インターネットで「職業診断」をしたりしていました。当時は、受験ストレスからの逃げもあったのかもしれないけれど、それでも自分なりに、「少しでも興味のあることを見つけたい!」と思って行動しました。そして、そこで見つけたのが「アメリカのディズニーで1年間働けるプログラム」でした。

このプログラムを見つけたとき、ワクワク感が止まりませんでした。「もう自分にはこれしかない」「この夢を叶えたい」と心から思えた瞬間でした。それから、どうしたらこのプログラムに参加できるのか、情報を探し始めました。

「英語」という壁と、進学先

でも、そこには大きな壁もありました。それは、高校時代の私の英語力。英語が大の苦手だった私は赤点の常習犯です。ディズニーのプログラムの参加条件と照らし合わせ、私に足りないのは「英語力」と「ホスピタリティ、サービス業の経験」。これらを満たせるような条件の学校を探し、見つけたのが「観光系の専門学校のアメリカ留学コース」でした。

Nami
Nami
「ホスピタリティも学べるし、英語も改善できる。アルバイト先をサービス業にして経験も積めば、アメリカのディズニーの募集要項を満たすことができる!」当時、私が見つけ出した最短ルートでした。

そうと決まれば、大学ではなく専門学校に進学したいことを親に説明しました。最初は猛反対されましたが、最終的には「自分の人生だから好きにしなさい。でも責任も自分で取りなさい。」としぶしぶ了承してくれました。高校にも、専門学校に進学することを伝えると、「専門学校?大学行かないの?」と、先生からもクラスメートからも心配されました。きっと、受験勉強からの逃げだと思われていたかもしれません。でも、「周りにどう思われるかは関係ない。大切なのは、自分が何をしたいか。」です。私はやっと出来た目標にワクワクしてました。

TOEIC300点代だった私が米国ディズニーで働くと決めてからTOEIC300点代だった私が、アメリカのフロリダにあるディズニーワールドで働くという目標を決めてから、アメリカに留学するまでの道のり。...

10か月の留学を経て勝ち取った、ディズニーへの切符

アメリカ留学前

専門学校に入学してからは、英語を猛勉強しました。先ほど言った通り、私は英語の赤点常習犯でした。高校3年生で、英検3級くらいのレベル、TOEICは問題を解かずに全てAをマークし300点代だったと思います。なので、まずは当時の高校卒業レベル、英検2級の取得を目標に勉強しました。見事、留学前1年間の勉強で、英検2級・TOEIC510点を取得します。

アメリカ留学後

それから始まった10か月のアメリカ語学留学。語学学校に通いながら、アメリカ人ホストファミリーとのホームステイ生活がスタート。私は「10か月間で、ディズニーで働けるレベルまで英語力を改善」しなければならなかったので、人生で1番勉強したと言っても過言ではありません。結果、帰国後のTOEICで870点を取得。また、スコアUPだけでなく、ホストファミリーと毎日会話していたこともあって、スピーキング力も上達しました。

ディズニーの就職試験

そして、ディズニーの就職試験。第一次、第二次、第三次試験と見事合格し、私の新卒での就職先が「フロリダのウォルトディズニーワールドのキャスト」が叶ったのです。高校時代の英語の成績を知っている家族や友人は、とてもビックリしていました。いくらアメリカ留学をしたからと言って、たった10か月間で「ディズニーで働けるレベル」まで英語を改善することは、そう簡単ではありません。私の人生において、「人生の分岐点」となったのは言うまでもありません。

「ディズニークルーズ」という新たな挑戦

ビザの条件

フロリダのウォルトディズニーワールドで働いていた頃は、夢が叶ったわけですから、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。ただ、1つ問題があって、このプログラムは1年間限定ということ。「もっともっとここで働いていたい」と思っても「プログラム終了後は必ず帰国すること」がビザの条件の1つです。

どうしても挑戦したいポジション

パーク内での私のお仕事は、エプコットにある日本館の飲食部門での勤務でした。本当は「マジックキングダムのゲストリレーションズ」で働くことを目標としていたのですが、そのポジションの募集要項が「フロリダのパークで1年以上のプログラムを1度でも修了したことがある人」が条件だったことから、まず他のプログラムを終わらせる必要がありました。

ただ、先ほども言った通り、ビザの条件の1つは「プログラム終了後は必ず帰国すること」です。また、他にも色々な条件があって、例えば、「もし他のプログラムに応募したい場合、最低1年はアメリカ国外にいなければいけない」というもの。つまり、帰国してすぐに「マジックキングダムのゲストリレーションズ」に応募することはできないということです。

私が米国三越CRプログラムに参加することになった経緯。フロリダのウォルトディズニーワールド、EPCOTの日本館で、キャストメンバーとして1年間働くことができる【米国三越のCRプログラム】 ...

この空白の1年間、何をしよう。

日本に帰国したあと、関連業務で数年経験を積んで、「マジックキングダムのゲストリレーションズ」を応募しようかとも考えましたが、日本で働いている自分が想像できませんでした。「やっぱりディズニーで働き続けたい。」そう考えた私は、「ディズニークルーズ」で働くことを本格的に視野に入れ始めます。

ディズニークルーズ内定

ディズニークルーズへの挑戦も、簡単なものではありませんでした。当時、日本人でディズニークルーズに乗船している方は1~2名でしたし、パークで働いたあとにクルーズに就職する、というルートがありませんでした。そこで、キャスティングセンター(ディズニーの就職サポートを行っている場所)に足を運んだり、色々な方にお話しを聞いてもらい、ひょんなことから、ディズニークルーズのリクルーターの連絡先をいただけたんです。これはまさに奇跡でした。

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ディズニークルーズに就職した結果、失敗

ディズニークルーズを去る

はい、題名が暗すぎますね(笑)

簡単に言うと、「ディズニークルーズで働きたい」という想いが強すぎて、自分が本来目標としていた「ゲストサービスとして働きたい」という物からそれてしまったんです。

私は新卒で「アメリカのディズニーで1年間働けるプログラム」に参加しました。つまり、職歴はこの1年間のみ。ポジションは飲食部門です。この履歴書を見たディズニークルーズのリクルーターは、どう考えるでしょうか?もちろん、私の配属先は、飲食部門になりますよね。

そうなんです。私の夢は、フロリダのパークに戻ってきて、マジックキングダムでゲストリレーションズとして働くこと。それが、「ディズニー」という会社にこだわりすぎて、自分がやりたいと思っている仕事ではなくてもいい、と思ってしまったんですね。

最初は、「ディズニークルーズで働ける」ということに誇りを思っていたし、ワクワクしていました。でも、時間が経つにつれて「私は今何をしているんだろう。この仕事を続けても私の夢が叶うわけれはない」と気づきました。こうして、せっかく内定したディズニークルーズを去ることに決めます。

ディズニークルーズに就職した結果、失敗した話。https://chatmbre.com/2020/08/08/dcl-1/ ▲上記の記事で「諦めなければ夢は叶う✨...

プリンセスクルーズに入社

その後、「マジックキングダムのゲストリレーションズ」にすぐ応募したかったわけですが、私の職歴は飲食部門のみです。やはり、関連業務である、ホテルのレセプションやコンシェルジュのようなお仕事をしようと思いましたが、日本ではその分野の英語力の改善になりません。

そんなとき、アメリカ留学時代の親友から、プリンセスクルーズで一緒に働かないか、と声がかかります。彼女はプリンセスクルーズでジュニアアシスタントパーサー(クルーズ船の受付業務)として勤務していました。彼女の紹介と、前職がクルーズ会社ということもあって、リクルーターよりすぐに乗船するようにと内定をいただけたんです。

ディズニーからの連絡

プリンセスクルーズに乗船中、なんと、フロリダのディズニーのリクルーターから連絡があります。「あなた、まだゲストリレーションズのポジションに興味ある?今何をしてるの?」私はディズニークルーズで飲食部門で働いていたけど、ゲストリレーションズとして働きたかったので、違うクルーズ船で受付業務をしていることを素直に話しました。すると「OK。じゃあ今はレセプションとしての経験もあるわけね!では日本で10月に会いましょう。履歴書送っておいてね!」

日本帰国後、東京でリクルーターと面接し、見事に内定。念願の「マジックキングダムでのゲストリレーションズ」の夢が叶った瞬間でした。

ディズニークルーズを去るときは、とっても悔しかったし、不安もありました。でも、あのとき勇気を持って決断できて本当に良かったと思います。

夢が叶った…けどその先は?

次の目標を探し始める

念願の私の夢「マジックキングダムのゲストリレーションズで働く」ことが叶いました。毎日全力で勤務し、幸せな日々を過ごしていました。ただ、このお仕事も、1年間という期限付きのプログラムだったことから、プログラム中盤当たりから、次の目標を考え始める必要があります。

最初は、ディズニークルーズに戻ることを考えていました。プリンセスクルーズでの経験と、パークでのゲストリレーションズでの経験から、次はディズニークルーズでも「ゲストサービスホステス(クルーズ船の受付業務)」で働くことは予想ができました。

でも、なぜか戻る気になれませんでした。きっと、アメリカ留学時代からの目標だった夢が叶った今、それと同じくらいの夢が見つからないのです。ワクワク感がありません。

そこで見つけたのがリージェントセブンシーズクルーズでした。「世界で最も豪華なクルーズライン」として知られていて、サービスも洗礼されています。ワールドクルーズなので世界中を旅することもできる。私の次の目標は、リージェントセブンシーズクルーズになりました。

ただ、当時のレセプションの条件が「英語の他に、ヨーロッパ言語を2つ、流暢に話せること」でした。日本語は含まれていません。つまり、ヨーロッパ言語を2つ習得する必要があるということです。どうしてもリージェントセブンシーズクルーズで働きたかった私は、まずはスペイン語を習得することに決めます。

カンクンとスペイン語

フロリダで勤務している間、メキシコのカンクンに、1週間程バケーションをとって1人旅に出かけました。そこで、アメリカと全く違う文化に衝撃を受けます。

そして、私の中に1つのアイデアが浮かびます。「ここでスペイン語を本格的に勉強したい!」

勉強?あなた社会人よ!働きなさい!

思い立ったらすぐ行動する私は、カンクンにある語学学校を探し始めます。そして、色々学校とコンタクトを取っているときに、ディズニーで一緒に働いているフランス人の友人にこんなことを言われて衝撃を受けます。

Nami、あなたバカよ。あなたはもう社会人よ。しかも、あなたが行こうとしているのはカンクン。カンクンは、ビーチリゾート地。ビーチリゾート沿いにはたくさんの4つ星、5つ星のホテルが立ち並ぶ。そこには世界中から、たくさんの旅行者が来る。アメリカ人だって、日本人だって来る。あなたは英語と日本語が話せる。あなたの今の職業は?ディズニーのゲストリレーションズ。なぜ「働こう」と思わないの?ホテルが欲しい人材よ。仕事を通して、スペイン語も学べばいい。お金を稼ぎながら、スペイン語の勉強をすればいいのよ。お金を無駄にしちゃだめ!

こんな発想は私には一切ありませんでした。「スペイン語が話せないのに就職できるわけがない」「メキシコにワーキングホリデー制度はないから、働くとなると、就労ビザが必要」否定的な考えばかりだった私に、「あなたはスペイン語が話せないから自信がないだけ。キャリアはある。トライしてみたら?」とアドバイスしてくれました。

カンクンの5つ星ホテルにコンシェルジュとして内定

まさかのお話ですが、カンクンのビーチリゾート沿いにある5つ星ホテルのコンシェルジュとして、内定が決まったんです!スペイン語は全く話せませんが、ホテルに来るのはほとんどアメリカ人や日本人ということで、英語と日本語が話せればお仕事はできるだろう、と。面白いくらい、フランス人の友人の言う通りでした!

まず、新たに有給1週間を取って、印刷した10枚の履歴書だけ持って再びカンクンへ行きました。ホテルに直接出向き、つたないスペイン語と英語で、人事部に直接訪問しました。というのも、メキシコの求人の仕方というのが変わっていて、メールや電話ではなかったんです。(今はわかりませんが、当時は)毎週決まった曜日に発行される新聞紙の一面に求人情報が掲載され、そこに時間と場所が掲載されています。そこに、履歴書を持って行くわけです。

これもまた壮絶なストーリーだったので、また詳細を別の機会にお話しします。結果、2つのホテルから内定をいただき、就労ビザもサポートしてくれるとのことでした!ということで、ディズニーのプログラムを終えて、日本に帰国し、メキシコ大使館で就労ビザの申請をし、メキシコに渡りました。

予想を遥かに超えたカンクンでの生活

現地に住むのと観光は違う

さて、カンクンにて私のホテルコンシェルジュとしての業務がスタートします。が、最初は業務を覚えることと、生活に慣れることにいっぱいいっぱいで、スペイン語を勉強する時間なんてありません。住む家を探すところからスタートします。なんとか、ルームメートを探しているという40代の女性と出会い、そこに住むことになります。が、この出会いが最後お金を盗まれるという悲劇を迎えます(笑)

発砲事件。身の危険を感じる

アメリカ滞在中も、何度か身近に発砲事件をニュースで見てきました。が、カンクンではまさに自分の身に降りかかりました。先輩から電話で「Namiさん、もし今〇〇エリアにいるなら今すぐそこから離れて!スーパーで発砲事件があったから!」私、その時刻にスーパーにいたんです(´;ω;`)その事件では、警官が1人、打たれて亡くなりました。もう恐怖で「今すぐ日本に帰りたい」と強く願いました。

ディズニークルーズから連絡が来る

数か月後、お仕事にも生活にも慣れてきた頃、なんとディズニークルーズのリクルーターから連絡が来ます。「ゲストサービス(クルーズ船の受付業務)としてディズニークルーズに戻ってこないか」と。

リクルーターには、今カンクンにいて、スペイン語を習得するためにホテルでコンシェルジュをしていることを伝えました。返ってきた返事は「ディズニークルーズでもスペイン語を話すクルーはいるし、スペイン語を話すゲストもたくさん乗船するわ。働きながらスペイン語を勉強できる環境は整っていると思う。」

ディズニークルーズに戻ることを決める

結果、私はディズニークルーズに戻ることを決めました。

カンクンでお世話になった方々、先輩には本当に申し訳なかったです。でも、私の滞在目的が「スペイン語の習得」だったことから、「カンクンでしかできないこと」ではなかったこと、そして、次の目標である「リージェントセブンシーズクルーズ」もクルーズ会社なので、クルーズ船で働いた方がキャリアにもなります。以上のことが、この時の決断の最大の理由です。

カンクンは素晴らしい観光地です。綺麗な海が一面に広がっていて、ご飯も安くて美味しい。観光でならまた戻ってきたいと思います。ピンクレイクやチェチェン・イッツア、セノーテ、他にもたくさんの自然や遺産があって、とても魅力的です。

住むのには少しハードルが高かったけれど、とてもいい経験になりました。

ディズニークルーズに戻るけれど?

激務。スペイン語の勉強時間がない

さて、晴れて「ゲストサービスホステス(クルーズ船の受付業務)」としてディズニークルーズに戻ってきたわけですが、ここからが激務でした。

私が乗船したのはディズニードリーム号。ヨーロッパを周るディズニーマジック号や、アラスカやパナマを含める日程があるディズニーワンダー号(私が前回配属された船がアラスカクルーズでした。)に比べ、ディズニードリーム号はフロリダ発着の3日間と4日間のクルーズをひたすら繰り返します。他のクルーズ船に比べて、1クルーズが短いことと、船のサイズも大きいことから、短期間でより多くのゲストが乗船するクルーズ船です。つまり、激務です。

プリンセスクルーズに乗船していた頃は、旅程が1か月単位のクルーズで、ラッキーなことに寄港地もオーストラリアからハワイ。途中、フィジーやボラボラにも寄りました。世界中を旅しながら、同じゲストを1か月かけておもてなしする。1か月後には、ゲストとも家族みたいになって、とっても楽しいクルーズでした。今でもずっとコンタクトを取り続けているゲストもいるほどです。

忙しすぎて、スペイン語の勉強なんてする暇もない。というか、体力が残っていない。

リージェントセブンシーズクルーズからの連絡

ディズニークルーズでのコントラクト終わり間際、なんとのリージェントセブンシーズクルーズリクルーターから連絡が入ります。

あなた、まだうちの会社に興味ある?実は、今日本人の募集を行っていて、以前あなたに送ってもらった履歴書を見ていたところなのよ。

そうなんです。なんと、これから大々的に日本にマーケットを拡大していく方針らしく、日本人ゲストが増える予定だから日本人のレセプション(クルーズ船の受付業務)が必要になると。

ということで、レセプション応募するための条件であった「英語の他に、ヨーロッパ言語を2つ、流暢に話せること」を、日本語が話せるという条件でカバーできたため、見事「リージェントセブンシーズクルーズ」に内定します。

世界中を旅した先に見えてきたもの

洗礼されたサービス

リージェントセブンシーズクルーズでは今までの接客にプラスアルファで行き届いたレベルの高いサービスを求められます。また、各ゲストに専属のバトラー(専属の客室係)がついているので、基本的にはバトラーと私たちの間でやり取りが行なわれます。ゲストがわざわざ受付まで来て話す手間がないということです。なので、受付に行列ができることも、あまりありませんでした。逆に、何かあったときは、難しい注文であったり、要求が強かったりするので、慎重に丁寧に対応する必要があります。

また、1クルーズが長く、アジアからヨーロッパ、アフリカへと渡るため、ゲストの入国審査の手続きや管理等のお仕事がとても大変でした。

寄港地を楽しむ時間が多い

もう1つの楽しみは、やっぱり寄港地に降りて楽しむ時間があるということ。寄港地によっては、1~2泊するときもあるので、そういった場合はゲストと一緒にツアーに参加したり、外にお食事に行ったりと、とっても楽しい時間を過ごすことができました。6か月間、休みなしで働くため、こういった時間はリフレッシュするのにとても大切な時間だと思います。

そして、ヨーロッパを周遊しているとき、フランスに寄港することが多くありました。フランスには、パリに2週間遊びに行ったことがあったのですが、たくさんの寄港するにつれ、『やっぱりフランスいいな~、もっと長く滞在したいな~』という気持ちが強くなっていきました。

フランスのワーキングホリデーへの決断

フランスにはワーキングホリデー(30歳以下であれば、日本とワーキングホリデー制度を提携している国で、1年間働きながら滞在することができる制度)があります。

ワーキングホリデーを利用すれば、船の勤務時間に縛られることなく、フランス中を好きなだけ旅することができます。また、アメリカのディズニーで知り合った友人もたくさんいます。きっと、思い出になる1年に違いありません。

そして、当時の年齢は29歳だった私は、30歳の年齢に到達するまであと1年、ギリギリの年齢でした。『最後のチャンスだ、行ってしまえ!』そして、フランスにワーキングホリデーに行くことを決断します。

もちろん、フランス語は話せません。<パルドン。

フランス滞在前半:充実

最初の2か月間は旅オンリー

2019年6月、待ちに待ったフランス生活がスタートします。『最初の2か月間は旅をする』と決めていたので、Paris → Saint-Malo → Rennes → Nantes → Tours → La Rochelle → Bordeaux → Pau → Toulouse → Montpellier → Marseille → Cannes → Nice と、フランスの西側を全制覇しました。ニースからは、各国の友人に会うため、一度フランスを出国し、イタリア → バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア) → ポーランド → イギリス、そして、再びフランスのニースに戻ってきました。

本当はこのまま東側を制覇し、パリに戻ってきてお仕事を探す予定だったのですが、ニースに戻ってきた時には既に2か月経ってしまっていました。ということで、一度パリに戻り、住む場所とお仕事を決めてから、お休みを取りつつ東側を周れればいいかな、と考えていました。

パリに到着、アパートはモンマルトルに♡

パリに到着してからは、友人のところにお世話になりつつ、アパート探しがスタートしました。パリでのアパート探しは本当に大変で、フランス人でも数か月はかかるとのこと。Facebookのコミュニティーに参加して、ルームメイトを探しているがいないかみつけ、何件か物件を見に行って、モンマルトルのお部屋を見つけました!

そう、あの有名なフランス映画、Amelie の舞台となった場所♡『サクレ・クール寺院』まで徒歩10分、『Amelieが働いていたカフェ』までは徒歩15分圏内でした。

仕事とパリジャンヌとしての生活

お仕事も、フランスの通販サイトでのお仕事が決まり、オフィス通いがスタート。給料はフランスの最低賃金だったので、隙間時間や雨の日でどこにも出掛けないときに、副業としてDMM英会話の講師を始めます。

休日はディズニーランドに遊びに行ったり、友人とご飯を食べたり、図書館に勉強しに行ったり、アートや音楽、ショッピングを楽しんだり、スペインやイタリア、日本からも、わざわざ私を訪ねにパリまで来てくれる友人がいたり。旅行のためのお金も貯金できて、パリでの生活はとっても充実していました♪

パリの【Guerlain 80周年記念パーティー】でマダムの一員に?みなさまご無沙汰しております。Nami です。 またしばらくブログを放置してしまいました。 前回の記事がバレンタインデーだったの...

ところが、11月下旬から過激なストライキが始まり、さらに12月、コロナでロックダウンに巻き込まれることになるのです。

フランス滞在後半:ロックダウン

パリでのコロナ、ロックダウン

フランスでのストライキが始まり、パリ中の全交通機関がストップしてしまいました。バスもメトロも全ての交通機関が運航見合わせとなり、会社に行くことが難しくなりました。ストライキは1か月は続く、と言われていたので、会社に退社する旨を伝え、DMM英会話の講師のお仕事をしながら、ストライキが収まるのを待っていました。

そしてその2ヶ月後、ストライキが終わるどころか、追い討ちをかけるように拡大したコロナウイルス。フランスでは、強制ロックダウンのため、一切外出禁止でした。せっかくフランスに来ているにも関わらず外出が禁止なのは、とってもつらかったです。ただ、お仕事があるだけ気持ちに余裕はありました。

ロックダウンが始まったのが2020年頭、私のワーキングホリデービザの期限は2020年6月まででした。あと半年残っていたのと、どれくらいでロックダウンが解除になるのかも検討がつかなかったこと、日本への海外からの帰国者への環境も全く整っていなかったことを考えて、期限ぎりぎりまで帰国をするのは控えようと決めました。

DMM英会話講師がブログ誕生のきっかけ

外出禁止のため、家での時間を持て余していた私は、DMM英会話のレッスン数を増やし、1日8時間〜10時間行っていました。1レッスン30分なので、1日16人~20人の生徒さんの授業を担当していたことになります。そこで、さまざまな出会いを経験することとなります。

生徒さんとレッスンをする中で『先生みたいに、私も海外で活躍できるようになりたい!』
と、私に興味を持ってくれる生徒さんが多くいらっしゃいました。私の経験談が、生徒さんの英語学習のモチベーションになったみたいで、私自身、とっても嬉しかったんですね。

そこで『もしかしたら私の経験が、誰かのモチベーションになったり、情報の助けになるのかもしれない!』と思い、ブログを開設することにしました。

日本に帰国、新たな目標と出会い

フランスから日本に帰国

2020年6月、無事フランスから日本に帰国します。ワーキングホリデーの半年分をロックダウンで満足に過ごすことができなかった私は『コロナが収束したら絶対にまたフランスに戻ってやる!』と意気込んで、フランス語の勉強を続けます。

新しい仕事

日本に帰国してから新しい仕事を探しました。DMM英会話の講師の仕事は好きですが、副j業として続けることにして、メインのお仕事を探しました。そして、2020年8月、現在も務めている、アメリカの会社に国際リモートワークすることが決まります。

旦那との出会いは、ライブ配信

2021年2月

フランスに戻ることを実現させるために、フランス語の勉強をする私ですが、1人ではどうしても続かず。そこで、私がフランス語を学習しているところをライブ配信することで、視聴者とコミュニケーションを取りながら語学学習をすることができないか、と考え、始めたのがこれです。

そこで、旦那が私のライブ配信の常連メンバーとして来てくれるようになります。

休みの日には、だいたい5~6人(アメリカ、日本、フランス、オーストラリア、ロシア、ドイツ、ブラジル、チリ Etc)でムービーナイトを企画したり、24時間ライブ配信を企画して、勉強だけではなくゲームもみんなでプレイしたり、ロックダウンならではのステイホーム時間を楽しんでました。

2021年4月

旦那と私でイベントを企画することが多くなり、語学学習以外にも会話が発展していって、2か月後にはカップルになってました。こうして、私が旦那にアメリカに会いに行くことを決断します。

2021年7月~9月

2か月間一緒に過ごし、お互い好きなことを再確認。
滞在中に彼からプロポーズ♡

目標のシフト:フランス語→USCPA

アメリカ人の妻になった私は、フランスに戻ることを目標に学習していたフランス語を学習するよりも、アメリカでの今後のキャリア形成を優先するべきだと考え始めます。

そこでUSCPAに挑戦することを決断します。

【USCPA 米国公認会計士】を目指して勉強始めます。みなさん御無沙汰しております。 アメリカに7月に入国してからかれこれ1か月。 旅行に行ったり、イベントに参加したり、お食事に出か...

フランスは、いつか旦那と旅行が出来たらいいな、と思っています。フランス語を学ぶことは楽しいので、今は少しお休み中ですが、今後も趣味で継続していきます♡旦那も2人でフランスに旅行に行くことを楽しみにしています。そのときまでに!

このブログで発信する内容まとめ

Nami
Nami
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

最後に、このブログで発信していきたいことをまとめて終わります。

①米国公認会計士の学習内容(通信大学×米国公認会計士スクール)
②私の過去のキャリア
③語学学習(英語、フランス語)
④国際結婚(旦那との遠距離夫婦生活、ビザ申請等)
⑤その他、趣味・雑記。今まで訪れた国の紹介、ピアノ、芸術鑑賞、あつ森(Switch)、ジムなど。